2006年02月23日

ジエッジのアスランにチョコが届いたそうで。

今月のジエッジ感想は現物を手にするまで何も言わないことした。
そういうわけで記事upは25日以降になります。

久織ちまき先生公式サイトの日記によるとジエッジのアスランに
バレンタインチョコが届いたそうで、おめでとうございます。
ほんと、本編フォローには苦労しているみたいですね。頑張れ!

この話で思い出したのが以前こっちのページでも引用した中島梓の「小説道場」。
(この方の作品はほとんど読んだことがないけど)
実はボーイズラブ(正確にはJUNE)小説の書き方指南書なのですが、
ジャンルを問わずクリエイターにとって大切なことが記されています。
以下引用。

面白い設定は才能があれば作れる。異常な情景は想像力があれば生み出せる。
豊かな感性があればその二つを統合していくらでも人目をひきつける世界が作れる。
だが問題はそこからだ。その世界の中に誰を住まわせ、誰をどう動かすか、だ。
美しいドールハウスは才能があれば誰にでも作れる。
だがドールハウスが美しければ美しいほど、
その中に住む人間が本当の血の通った人間か、それともただの書き割りの人形かは
くっきりと浮かび上がってしまう。
(中略)
これをどうやって学ぶかは、ただ自分がいかに真摯にいかにちゃんと生きて
傷ついているか、それしかないのだ。
(中略)
書く時はつねに「云う側」「する側」ではなくて、「云われる側」「される側」
としてその描写やセリフを見返してごらん。
そして何が人にとって魅力的なのかということをもう一回考えてみることだ。
ことにエンターテイメントにとって最も大切なことはいかにして
バレンタインにチョコの山がファンから届く人物を造形するか、
ということにつきるので、実を言うと情景や設定は極端に言えば「あればいい」
というくらいのものなのだ。


もう一つ、

江森自身の持っているキャラへの差別意識、誰は主役クラスで誰はアンサンブルランク、
という意識を読者に気づかせてはいけない。
魏延は死んではいけないが木鹿大王はあっさり死んでいい、という事実を
読者に気づかせてはいけないのである。
逆に重要人物をあっさり死なせ、アンサンブルをいたんでやることによって
より大きい共感が得られる。──これこそ極道のきわみの物書きの残忍きわまりない
陰険さというものの神髄だ。
だが江森のランクまできたらもうその残酷さをも避けて通ることはできない。
決して読者に作者の本性を気づかせるな。それが見透かされるうちはまだアマなのだ。
最も残酷な神でありつつ最も人道的な葬儀の参列者であること。
それが作家であるということなのだ。
自分がほふった被害者の骸の上で哀惜の涙を流してみせることだ。
自分でやっといて何をいってるんだ、と読者に思わせるならまだ文章力が足りない
のである。

※江森=江森備。「私説三国志」の作者。



小説はビジュアルで誤魔化せないからね。
種シリーズの制作者の方にも、是非改善してほしいことばかりだ。
特にキャラのランク、誰が死なないかすぐわかってしまう構造を。
posted by backtoCE71 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記&告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/13678156
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。